高校野球がアツい今、みなさんどの選手に注目されていますか?
今回、強肩で自信みなぎる山浅龍之介選手にスポットを当てていきます。
8強入りし、準決勝に進む聖光学院高校。
ここでは期待の星である山浅龍之介選手の
出身地
小中学校学歴
チームや経歴
などをまとめてご紹介します。
プロを目指す際の友達との約束を通じて、野球生活での心情もご覧ください。
山浅龍之介の出身地
山浅龍之介選手の出身地は秋田です。
<春に駆ける’22センバツ>選手紹介/3 聖光学院・山浅龍之介捕手/只見・山内友斗捕手 /福島(センバツLIVE!) – Yahoo!ニュース – スポーツナビ https://t.co/2avayYTv29 pic.twitter.com/gQpmVN2Qvo
— SoftballTimes|ソフトボールの総合メディア🥎 (@softball_times) February 23, 2022
山浅龍之介選手の簡単なプロフィールをご覧ください。
山浅 龍之介(やまあさ りゅうのすけ)
出身地:秋田県由利本荘市
生年月日:2004年度生まれ
年齢:17、または18歳
身長:175センチ
体重:83キロ
ポジション:キャッチャー
山浅龍之介選手は強い肩からの投球が持ち味です。
#聖光学院 山浅龍之介、好返球を守り切る! pic.twitter.com/D3KHWSOguv
— 汗と涙。 (@gari_wasabi) August 9, 2022
8月16日の3回戦、敦賀気比との試合においては、相手ランナーの盗塁を阻止する一直線の送球を見せてくれました。
遠投110メートルと強肩を持ち、自信のあるプレーで甲子園ファンを沸かせています。
山浅龍之介の出身小学校
山浅龍之介選手の出身小学校はこちらです。
小学校:由利本荘市立小友小学校
所在地: 秋田県由利本荘市館前後田20
小学校時代は地元の軟式野球チームに入ります。
小友ジグザグ野球スポーツ少年団(2014〜2016年)
小友ジグザグ野球スポーツ少年団は由利本荘市立小友小学校を母体としたチームで、3年生から6年生までの約20人前後でボールを追いかけています。
6年生になった2016年、山浅龍之介選手は東北楽天ゴールデンイーグルスジュニアに選出されました。
楽天イーグルスジュニア2016
・福田虎太郎くん(青森・板北クラブ)
・砂頼人くん(岩手・帯島スポーツ少年団/侍ジャパンU12代表)
・石山伶偉くん(秋田・神岡野球スポーツ少年団)
・山浅龍之介くん(秋田・小友ジグザグ野球スポーツ少年団) pic.twitter.com/YH2f7qNZ3S— チョコパン (@smalto19) January 2, 2017
東北楽天ゴールデンイーグルスジュニアは東北の実力を全国に示すために結成されるチームです。
セレクションでの審査によって選出された実力者たちはプロ野球への道を目指しています。
ここは各球団の元プロ出身OB選手が監督になっている本格的なチームのため、大変競争率が高いのです。
山浅龍之介の出身中学校
山浅龍之介選手の出身中学校はこちらです。
出身中学校:富谷市立東光陽台中学校
所在地:宮城県富谷市明石1-14
https://goo.gl/maps/xcgFESNYmrx3FaAZA
山浅龍之介選手は野球の夢に向かって進むため、秋田から宮城県富谷市に移り住み中学を転校します。
転校を決心したのは「どうしても入りたい憧れのチームがあったから」。
そのあこがれのチームは「東北楽天シニア」です。
「東北楽天シニア」は楽天イーグルスの下部組織として設立された中学年年代の硬式野球チームです。
山浅龍之介選手はこのチームには2017〜2019年まで所属します。
このチームで数々の経験を積んでいきます。
山浅龍之介の楽天シニア出場試合
2017年/中学1年生
リトルシニア日本選手権大会(2回戦)
ジャイアンツカップ(1回戦)
2018年/中学2年生
リトルシニア全国選抜野球大会(1回戦)
リトルシニア日本選手権大会(2回戦)
ジャイアンツカップ(1回戦)
2019年/中学3年生になると
リトルシニア全国選抜野球大会2019年(3回戦)
リトルシニア日本選手権大会2019年(ベスト8)
ジャイアンツカップ2019年(2回戦)
全国レベルの試合経験を着々と積んでいます。
ジャイアンツカップ2回戦
橿原ボーイズ対東北楽天リトルシニア橿原ボーイズが逆転勝ちで準々決勝進出!
バッテリー
東:鈴木、佐藤実、木村、佐藤優-山浅
橿:古岡、岡西-中西[二]金野2(東) 中棟2、酒井、岡西(橿)
[三]高橋(東) 中西、中棟、酒井(橿) pic.twitter.com/1nwVvdrAHw— m-y (@m1y6_bb) August 13, 2019
プロを目指す夢のための中学校選び。
故郷である秋田県からの移住によって、
当然友人知人のいない中学生活です。
上手くいかないことも当然あったり辛かったり…
その頃の心細さや友との夢の約束などをつづったエッセイがあります。
山浅龍之介(聖光学院)の語る『約束』とは?
2020年産経新聞社主催の『約束(プロミス)エッセー大賞』に応募した山浅龍之介さんのエッセーがあります。
「約束」に関するエピソードを募集するコンテストで「10代の約束賞」を受賞されていました。
『彼』という題名のエッセーはかつて仲の良かった今は亡き同級生に宛てたもので、共に夢を語った彼との別れと後悔が書かれていました。
16歳の山浅龍之介選手の、野球の道を目指した時の心情がよくわかります。
出典:https://www.promise-essay.com/25th/18.html
『彼』
「いつか大きな舞台でまた会おう、約束な。」
小学校を卒業する時に交わした約束だった。
彼とは、幼い頃から仲が良くてよく一緒に遊んだ。負けず嫌いで、負けるとすぐに泣くし、すぐに怒る。でも優しくて、とにかく一緒にいて楽しい奴だった。彼は柔道、私は野球、やっているスポーツはそれぞれ違ったけれど、一緒に夢を語り合えるようなそんな仲だった。彼とは、たくさん笑ったし、二人でめちゃくちゃに怒られることもあった。
そんな私たちも小学校六年生、もうすぐ中学生になるという時、私は夢に向かって進むために、秋田県から宮城県の中学校に転校することが決まった。どうしても入りたい憧れのチームがあったからだ。一人も友人がいない、知り合いもいない、不安や怖さはあったが夢に向かって進むという信念に決意に迷いはなかった。もちろん、行くことが決まってから、すぐにそのことを伝えた。
「俺、中学校からは宮城で野球することにしたんだ、だから、中学からは転校することになるんだ。」
「本当か、頑張れよ。先行かれちゃったなぁ、俺もすぐに追いつくからな、越されないようにしっかり練習しとけよ!」
いつも通りだった。負けず嫌いなのは知っていたし、本当はどう思っていたのかは知らないが、彼の表情からは決意がひしひしと伝わってきた。
「いつか大きな舞台でまた会おう、約束な」その約束と夢を持って私は、宮城県の中学校へと進学した。
新しい場所での生活は思った以上に大変だった。誰一人として知り合いのいない学校で、友人を作ることから始めて、知らないことだらけの生活を家族と一日一日勉強しながら暮らしていった。友人関係も、野球も、なにもかも上手くいかず、
「このまま家族に迷惑を掛け続けるのなら、もう地元に帰った方がいいんじゃないか。」
「もう逃げたい。」
「辛い。」
そんな時、私を踏み止めてくれたのは、彼との約束だった。
「夢に向かって苦しんでいるのは俺だけじゃないんだ、自分で進んだこの道、逃げるわけにはいかない。」
私の戦う理由の一つだった。
そこからの三年間はあっという間に過ぎていった。良い事も悪い事もたくさんあったが、最高の中学生活三年間になった。
ステージは高校に変わり、また一から進んでいこうと思った。
しかし、それは突然だった。
両親からの急な電話でその事を知った。
「〇〇くんが亡くなっちゃった。しかも、自殺で。いじめられて、柔道も上手くいかなくて、昨日亡くなったって。」
それは彼の名前だった。将来や、夢を語り合った、彼の名前だった。
言葉が出なかった。
「約束したのに、辛くても頑張ろうって約束したのに。」
何もできなかった自分が本当に嫌になった。一人でずっと苦しんでいたのだろう。自分の事で精一杯だったとはいえ、連絡の一つもできなかった。メールの一つでもできたら、何か変わったのではないか。自分を責めた。
「もう同じ約束は果たせない。あいつの分まで戦って、大きな夢を、舞台を見せてやるよ。」
今、私は高校野球で夢を、目標を掴むために戦っている。まだまだ弱くて、何もできない。でも、その現実に立ち向かい続ける。
もう一人の夢ではない。戦う理由がそこにはある。チームメイト、家族、支えてくれた全ての人、そして彼との約束を守るために。
まとめ
聖光学院の山浅龍之介選手の出身地は秋田県本荘市です。
小中学校は地元の由利本荘市立小友小学校へ通いました。
4年生から小友ジグザグ野球スポーツ少年団に入団。
その後小学6年生に東北ゴールデンイーグルスジュニアに選出されています。
中学校は宮城県富谷市立東光陽台中学校へ、野球のために転校しています。
プロを目指す彼のどうしても入りたかったチーム楽天シニアがあるからです。
友達との「夢」の約束を綴ったエッセイには山浅龍之介選手の心情が表されていました。
友達や知り合いもいない不安、うまくいかなくて悩んだことなども経験しながらの今がある山浅龍之介選手でした。
山浅龍之介(聖光学院)の出身地は秋田!小中学校はどこで約束とは?