19歳で自ら劇団を旗揚げした実力者であり劇作家として名をはせる根本宗子さん。
演出家で俳優・劇作家としても活躍されていた多才な方ですよね。
演劇にのめりこんだのは、どうやら母親が関係しているようです。
この記事では
根本宗子さんの実家について
父親・母親の職業やどんな人なのか調べます。
また、知り合いが芸能一家らしく、幼馴染に関しても調べてみました。
根本宗子の実家はお金持ち
”根本宗子さんの実家はお金持ちだから演劇に打ち込めたんじゃないか”と思われがちだそうです。
それと言いますのも、幼い頃から演劇を観ていたという根本宗子さん。
しょっちゅう芝居を観に行ける環境にあるということは、かなりのハイスペックなご実家と想像できます。
年間100本を超える芝居を観ていた根本宗子さん。中学1年生の時には大人計画の『ニンゲン御破算』(2003年)という芝居に感銘を受け、この道に興味を持ったときっかけを話しています。
文春のインタビュー記事の中でも
「昔はわりかしいいおうちだった」
と話しています。
ご自身が「わりかしいいおうちだった」と言うからには、かなり自覚もある程度にお金持ちだったのでしょう。ご両親がどんな職業だったのか気になります。
根本宗子の父親・母親は不動産業
お金持ちの要因として根本宗子さんの父親と母親は不動産業を営んでいたことを明かしています。また祖母も不動産業で、不動産一家だったことも。
父も母もおばあちゃんも不動産業の不動産一家で、昔はわりかしいいおうちだったんですけどね。
引用:文春オンライン
東京出身の根本宗子さん。ご実家は祖母の代から不動産業を営んでいたんですね。
都内で不動産・・・しかも父親や母親まで。
となると、かなり裕福なご家庭であると推察されます。
怪我と同時期に父親の仕事がダメになってピンチ
ところが根本宗子さんが中学一年生の時、競技会リレーで転倒し負傷する事故が起きてしまいます。
その手術や治療にお金がかかった同時期に、父親が事業を失敗するというピンチが訪れます。
父の仕事がダメになったのと、私の怪我とが重なって、めちゃくちゃお金がかかった時期があったんです。「あっ、家のお金がやばそう」って子どもながらに気づくレベルの。
引用:文春オンライン
この転倒事故、かなり重傷でその後6年間もの間根本宗子さんは車椅子生活を余儀なくされています。
入院手術に加え、退院後も車椅子の手配や送迎、バリアフリー化などかなり金銭的にかかったに違いありません。そんな折くしくも父親の仕事がダメになるとは、子ども心にもピンチと感じ不安は大きかったに違いありません。
そんな大変な中、ご両親は変わらず根本宗子さんを芝居に連れて行ってくれたそうです。
そんな時でも変わらずに親は私を芝居に連れて行ってくれたので、ほんとにありがたかったと思ってます。
引用:文春オンライン
車椅子生活となってしまった娘への希望となったのは今日の活躍を見ても分かります。
まさに父親・母親が与えてくれた環境のおかげと言えそうです。
根本宗子の父親はどんな人?
根本宗子さんの父親について調べてみましたが、ほとんど情報が見つかりませんでした。
分かっているのは
不動産業を営んでいた
娘の宗子さんの怪我と同時期に仕事がダメになった
その後も変わらず演劇に連れて行ってくれた
このくらいでしょうか。
ちなみに娘の宗子さんは中高一貫校を卒業されていることから学費の工面も問題なかったといえそうです。
根本宗子の母親はどんな人?
根本宗子さんの母親はどんな方なのか。父親同様、
不動産業だった
変わらず演劇に連れ出してくれた
と言った情報があります。
芝居に関しては母親の方が熱心でした。華やかなショーを見るのが好きだったお母さんは幼い頃からたくさんの公演に連れて行ってくれました。
母親は華やかなショーを観るのが好きな人だったので、幼い頃から「シルク・ドゥ・ソレイユ」やミュージカルなどの公演によく連れて行ってもらっていました。
引用:PARCO SPECIAL IN YOU
真田広之さんの熱心なファンだったお母さん。一緒に真田広之さん主演の芝居も観に行ったと話しています。
根本宗子の母は料理上手で器用な人だった
また、お料理を作るのがとっても上手なお母さんであることをnoteの中で綴っています。
私の母はご飯を作るのがとっても上手。というか手先が大変器用な人間である。
他にも、もともと手先が器用で絵を描くことも上手く、何でも上手にこなす母親に「どうやったらいいのか」と毎日のように聞いては長続きせずの繰り返しだった幼少期についても語られる場面がありました。
「どうしたらママみたいに絵が上手くなるの?」
その都度母親は「とにかくたくさん描いた。字も絵もたくさん書けば上手くなる。」と答え、「好きな漫画の絵を真似するところから始めた」とコツを教えてくれました。
教えてもらいながらやっては見るものの、当時の集中力の無さを告白しています。
一つのことに集中できない子供だった私は、じっと長時間絵を描いたり、何かを練習したりすることができず、寝て起きたら急に絵の達人になってないかなーと毎日思いながら寝ていた。
お母さんの器用さとして挙げられているのがこちら
- 料理を作るのが上手
- 刺繍も得意でぐりとぐらの好きなページを完コピするスキル
- 絵が上手
- 字も上手
絵を諦めた宗子さん。ママのように上手に刺繍をやってみたくて本も買ってもらいますがこれも挫折。
そんな私が唯一まぁまぁ続けられたことが料理だった。
小学生のころには「パンケーキをそれなりに綺麗に焼く部門の天才になりたい」と極めたようですよ。
参考: https://www.instagram.com/p/B-blxJWHDqb/?img_index=1
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料理は続けているという根本宗子さんのインスタグラムには、美味しそうな料理がたくさん載っています。彩も考えられていてセンスが光ります。
怒ることなく接した母親はかなり辛抱強い性格ともいえるでしょう。いいお母さんですね。
芸能一家と知り合いで幼馴染み
そんなお母さん、実は芸能一家である中村勘三郎さんの奥さんと幼馴染なんです。
中村勘三郎さんは2012年に他界されていらっしゃいますが、看取った奥さま波野好江さんは人間国宝で歌舞伎役者・成駒屋7代目中村芝翫丈さんの次女でもあります。
歌舞伎の家柄から、歌舞伎役者の妻へと格式高い家柄です。その波野好江さんと親友の間柄のお母さんもまたセレブな生まれなのでしょうね。
母親同士が親友なだけあって、互いの子供たちもまた幼馴染として親交がありました。
根本宗子さんがお兄ちゃんと呼ぶのは、中村勘三郎さんの長男・中村勘九郎さん、次男の中村七之助さんでした。
私は小さい頃から歌舞伎を観に行ってたんです。勘九郎くん、七之助くんとは幼馴染で、お兄ちゃんみたいな感じでした。だから出演するお芝居はほぼ全部観に行ってました。3歳くらいの頃からかな。とにかくじっとして舞台を観るのが大変だった記憶がありますね。
引用:文春オンライン
幼馴染のお兄ちゃんたちのお陰で、芝居や歌舞伎が身近なものだったのでしょう。幼い頃からよく観に行っていた訳も分かります。
また、この親交こそ根本宗子さんの劇作家としての人生のきっかけなんです。
芝居の道へのきっかけ
元々モーグルの里谷多英選手に憧れ、モーグルの選手を目指していた根本宗子さん。
先に述べた通り怪我により車いす生活となり夢を諦めた時、幼馴染一家の中村勘三郎さんから勧められ演劇に出会ったことが芝居の道へのきっかけとなったと、文春インタビュー記事で話しています。
私の母と、勘三郎さんの奥さまが親友という縁があって、勘三郎さんから誘っていただいたんです。「大人計画っていう面白い劇団があるんだ。そこに今度出るから、観においで」って。
- 演劇好きなお母さんの存在
- お母さんの幼馴染
- 幼馴染一家との親交
こうした要因から、演劇が身近であり母親や周囲の環境が根本宗子さんを劇作家への道にいざなったのでしょう。
実家がお金持ちだけどいろんなバイト
最初の項目で”根本宗子さんの実家はお金持ちだから演劇に打ち込めたんじゃないか”と思われがちだといいましたね。
根本宗子さんは19歳で実家を出て劇団『月間「根本宗子」』を立ち上げています。
19,20歳で実家を離れ自分で生活を始めた当初は、生活費の為バイトをしていたと語っています。
最初は全然食べていけなくて、毎日バイトするしかなかったですね。
実家に頼らず、自分の力で演劇の時間とバイトで生計を立てる時間をやりくりしていた様子が語られており苦労もされている様子でした。
月6万くらいの家賃をなんとか工面していました。結構いろんなバイトをやったんで、その経験しておいてよかったなと今となっては思ってますけど。
引用:TUTAYA CREATORS` PROGURAM
当時6万円の家賃を工面するためいろんなバイトをしていたんですね。
つらい時期もあったのかと心配されますが、ご本人はいたって楽天的。
「貯金が0円になってもなんとかなるだろう」という性格だったのでそこまで苦ではなかったかもしれません。日払いのバイトだけは保険で登録していたので、何回かマジでやばくなって洋服のセール会場とか物産展の派遣行きましたね。(笑)
何とかなるだろうと語る根本宗子さんは、当時から大物気質だったのかもしれませんね。
まとめ
根本宗子さんのご実家はお金持ちだったそうです。
それなりにと話す実家の父親母親は、祖母の代から不動産業を営んでおり裕福な生活を送ります。
芝居や歌舞伎には幼い頃から度々観劇に行かれていました。
特に母親は、歌舞伎一家である中村勘三郎さんの奥様・波野好江さんの親友でした。そのため歌舞伎芸能一家とは親交も深かったのです。
中村勘三郎さんの長男・中村勘九郎さんや次男の中村七之助さんをお兄ちゃんと呼ぶ幼馴染みとして、出演されている歌舞伎もよく観に言っていたほど芝居が身近である環境で育っています。
聴けば3歳ころから芝居を観ていた根本宗子さんが劇の世界を進んでいるのは自然なことなのでしょう。
仕事にプライベートにと充実されご活躍されることを応援しております。