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千早茜は引っ越し歴がヤバい!北海道出身だけどアフリカ?父や家族は?

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第168回直木三十五賞の候補作の一つして千早茜さんの作品『しろがねの葉』が選ばれましたね。

本選考は2023年1月19日(木)に開催されます。

2008年『魚神(いおがみ)』で第21回小説すばる新人賞を受賞しデビューした経歴を持つ事もあり、千早茜さんがどんな作家さんなのか気になりますね。

この記事では直木三十五賞の候補の千早茜さんの

  • 出身地や本名
  • 学校
  • 家族

等について調べていきます。

またその人生には常に本があったし引っ越しの多い子供時代だった千早茜さん。そのヤバい生い立ちについてもご覧ください。

千早茜の出身地や本名・プロフィール

千早茜さんのツイッターには美味しいものがあふれています。

 

注目の作家・千早茜さんは北海道江別市のご出身です。

名前についてはペンネームを使われる作家さんも多いのですね。
千早茜さんの場合、本名かどうかの記述が見つかりませんでしたのでおそらくは本名での執筆と考えられます。

プロフィールに関してはこちらをご覧下さい。

名前:千早茜(ちはやあかね)

生年月日:1979年8月2日

年齢:43歳(2022年12月現在)

出身地:北海道江別市

高校:北海道大麻高等学校

大学:立命館大学

自宅:京都府在住

出典:Wikipedia

出身地である江別市は北海道の道央部に位置しており、札幌の中心部まで20分で行けるアクセスの良いところです。

また千歳空港までも約60分程で行ける事もあり便利な地と言えます。

江別観光協会のホームページにて詳しいアクセス方法をご覧になれます。

https://www.ebetsu-kanko.jp/

北海道出身の千早茜さんですが、とにかく引っ越しの多い子供時代を過ごしています。それも国内外に及ぶ為環境が違い過ぎて苦労していたようです。

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千早茜の学歴や生い立ちがヤバい!

千早茜さんは生まれは北海道ですが、育った環境が独特過ぎてヤバいんです。

アフリカ ザンビアに引っ越した小学生時代

千早茜さんは父親の仕事の都合で、小学校1年生から4年生までをアフリカのザンビアで過ごしました。

ザンビアでは、赤道にほど近い場所に引っ越して住んでいたという千早茜さん。
その地には書店もなく、通っていたのはアメリカンスクールだった為日本語の文字に出会う事も無い環境でした。

この頃お母さんが祖母たちに頼んで、日本から毎月5冊の本を送ってもらう様にはからい、それが待ち遠しかったと言います。

届けば貪る様に読んだけれど、月に5冊しか読めないのはきっと日本に本が無いからだと考え「本が無いなら自分で書こう」と決心したそうです。

 

千早茜の小学生時代

千早茜さんは小学校1〜4年生までをアフリカのザンビアで過ごしアメリカンスクールに通います。

その後小学校4年生の終わり頃に日本に帰国すると、九州の宮崎に引っ越しします。

小学校では同じ日本人なのに「アフリカから転校してきた」と紹介され、物珍しそうに見学に来る生徒が後を立たなかった様です。

帰国当初はパーマをかけて真っ黒に日焼けしていたというから、尚更好奇心いっぱいの目を向けられた事でしょうね。

アフリカ時代から日本語の活字に飢えていた千早茜さん。好奇の目を避けるべく、図書室で本を読み漁る幸せに浸ります。

好んで読んだ本は動物物ばかり。

本の読める環境に喜ぶ反面、動物を懐かしみ、人間にうんざりしていたのかもしれません。

千早茜の中学時代は北海道に引っ越し

中学生になると今度は北海道へ移ります。

引っ越した先の中学校の図書室には本が少なくガッカリしたそうです。

仕方なく家にある世界文学全集を読むようになり、中でも『嵐が丘』だけが唯一心を揺さぶった本だと言います。

主人公のヒースクリフとキャサリンの関係性に感銘を受けこの様に語っています。

名前がつけられない関係性というのは、今の自分の作品にもすごく通じていると思います。『嵐が丘』のような小説が書けたら死んでもいいと思っていました。

出典:WEB本の雑誌

この作品の微妙ななんとも言えない関係性が、今日の作品にも生かされているそうですよ。

千早茜の高校時代は超反抗期

千早茜さんの中学時代から少しずつ始まった反抗期は、高校時代に超反抗期を迎えます。

「読むのは死んだ人のみ」

こんな読書ルールを定め、価値ある物しか読まないという文学少女になっていたという千早茜さんです。

その時の様子をこの様に話しています。

クラスの男子なんて馬鹿!話しかけられても無視!

出典:WEB本の雑誌

また犯罪心理学や病理ものに夢中になり、鑑識をする検査技師になろうと父親に相談した事もあったといいます。

“人と同じ”を嫌い、学校が嫌いで次第に通わなくなると、北海道の情報図書館で読書する日々を送っていたというからかなりのひねくれ者ですね。

大学時代は京都へ引っ越し。思いをノートに書くメモ魔

大学進学し京都へ引っ越した千早茜さん。

大学では文学部で美術系。立命館大学の人文総合インステイテュートの人間と表現を専攻し、美術書が自宅にいっぱいあるほどの美術好きでもあったんです。千早茜さんの興味は本当に幅広いですよね。

絵も描かれていた千早茜さんはカフェで個展も開かれた経験があるそうですが、評判となったのは「絵」ではなく「絵」につけていた「詩」の方。ここで絵に向いていないと漠然と感じたそうです。

2歳の頃から口述筆記でつけ始めていた日記は中学時代に一時中断しましたが、高校生になってから復活して書き出しました。

”思ったことを書き出して吐き出さないと苦しくなる”為用途に合わせてノートを作っていますがその数もヤバイです。

その時その時で感じた瞬間を書き留めずにはいられない性分なことが判ります。

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千早茜の家族とは

千早茜さんはご家族4人家族でです。

千早茜の母は教師

国語の教師だったお母さんは読み聞かせが上手で、楽しくて眠れなくなるほど。

本が大好きになったのもお母さんの影響は大きいですね。

皆さんにご存じな『どろんこハリー』や『どろんここぶた』の絵本が大好きでしたが、基本ドロドロ系山姥が出てくるような怖い話が好きだったそうです。

絵本好きな基盤は国語の教師だったお母さんによって作られ、アフリカ時代も本を求めてやまない子供に育っています。

アメリカンスクールに通っていたザンビア時代は、週末になるとお母さんが先生をしている「ルカサ補習教室」で日本語教育も受けてこられたということです。

毎日日記を書いてお母さんに提出していたのですが、厳しく赤ペンが入って返されていたそうです。書くことが当たり前の習慣はお母さんの教育の賜物なんですね。

千早茜の父親は理系

千早茜さんの父親はバリバリの理系。

お父さんは獣医であり病理学を研究していたため、JICAで派遣されザンビア大学で教えていました。

お父さんの仕事の関係で千早茜さんはアフリカのザンビアに暮らしていたんですね。

犯罪心理学や病理ものの読み物にハマっていたのも、理系脳であるお父さんの影響を受け継いでいたのかもしれません。

犯罪心理学者になりたかったけれど日本にそうした学科がないと知ると鑑識の仕事に興味を持った茜さん。

相談を受けたお父さんが「そのためには特別な学校を出なくてはいけないけれど、とりあえず普通の大学を卒業してから考えなさい」と言ったためひとまず得意の文系に進学することを決意したそうです。

千早茜の妹はタイプが全然違う

千早茜さんには妹さんがいらっしゃいますが、年齢などについては公表されていませんでした。

幼い頃から読み聞かせをしていてくれたお母さん。

千早茜さんの傾向は怖くてドロドロした物語。

一方妹さんは綺麗なものや優しいものが好きだった為、山姥が出てくるような物語を怖がっていたと言います。

同じ環境で育ちながらも、姉妹で正反対なタイプに育ち全然違うものが好きだったようですね。

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まとめ

千早茜さんは知れば知るほど興味深い人物のようです。

現在第168回直木三十五賞の候補作として『しろがねの葉』がノミネートされています。

父親がバリバリ理系で理系脳を受け継ぐように犯罪心理学や病理物にハマったこともあるそうです。

また母親が国語の教師で幼いころから読み聞かせてくれたことが作家になる階段の第一歩だったのではないでしょうか。

引っ越しにより生活環境や周囲が代わったことで、本への興味集中がより一層高まっていったようですね。

絶対注目したい千早茜さん。

今後の活躍から目が離せません。

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もも
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